変化することへの自由


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チルノ「幻想郷最強を誇るアタイ! リニューアルして再登場!! わははははは!!!」

先日体験版が公開された東方Project最新作「東方天空璋」にて、我らが愛すべきチルノちゃんが驚きの自機抜擢です。
ええ、そりゃもう色々なことで驚かされましたよ。
猛暑やら炬燵やらで溶けて水になる…というのが二次創作上での「よくあるネタ」だったのに、公式にそれを否定されちゃった訳ですから。

真夏でも解けない氷。
突如現れたアサガオの仕業なのか?
そもそも氷が日焼けするのか??
これこそが、幻想郷最強を自称誇る妖精の底力!?
早苗さん「この幻想郷では常識に囚われてはいけないのですね!」

胸元のヒマワリと相まって、以前にも増して可愛らしくなっての再登場。
僕的にはむしろ大喜びなのですけどね。(。-∀-) ニヒ♪


     * * *


今から思い返すこと30年ばかり昔のお話。
それまでマルーン1色塗りだった近鉄電車の一般車が、マルーンとシルキーホワイトの2色塗りに代わった時、どこかヨーロピアンな気品すら感じさせていたものが、なんだか随分とダサくなったものだとガッカリしたものです。
大阪線1400系電車や奈良線8810系電車以降であれば結構似合っていましたが、それ以前の在来車ではまるでタヌキみたいの一言。
それでも塗り分け線を再調整すると在来車の印象も落ち着いてきて、今となってはすっかり慣れてしまいました。
ああ、慣れって恐ろしい。

今は今で京阪電車の塗色変更が大詰めを迎え、最後の砦と言われていた大津線も京津線用800系電車を含めて京阪線同様の新標準色に改められてしまうことが発表され、緑の濃淡2色塗りに慣れ親しんできた身としては寂しい限りです。
5ドア車ながら昼間は3ドア車として運用できる京阪自慢の5000系電車も、京橋駅のホームドア設置との関係で全車引退することになりました。
ラッシュ用ドアをただ締め切るだけでなく、天井に格納されていた昼間用の座席が下りてきて、ドア間4人掛けのロングシートが12人掛けに化ける姿は、テレビでもたびたび紹介されるほどの人気ぶりでした。
最初の編成が登場したのは、僕と一つ違いの1970年。
急激に変化していく社会の中で、今日に至るまで当時の設計思想を十分に活かす形で40年以上も活躍を続けたことは称賛に値します。
寂しいですが、ここは誇りを持って勇退の日に臨んでほしいと願います。

前置きが随分と長くなりましたが、僕という人間は「変化」を嫌う傾向にあるようです。
日常的に使っていたものが急に変わってしまうと、ひどく戸惑ってしまいます。
何かをやっている最中に別の仕事を言いつけられると、手順や今後の予定が狂わされることに強いストレスを感じます。
ある人が言っていたことが、次には全然違う内容に変わっていた時には、もう何を信じて良いのか分からなくなります。

発達障害の一つであるASD(自閉症スペクトラム)の特性の一つに、特定の行動において一定の様式を繰り返すことを好むという特性があります。
(※当事者全員がこの特性を持つ訳ではありません。)
たとえば、朝起きてから家を出るまでの間には、朝食や身支度などの「作業」がたくさんあります。
それぞれの作業には一定の順番があり、一定の手順があり、一定の位置があります。
これが一つでも狂うと、そのこと自体が大きなストレスになったり、パニックになったりするのです。
当事者でないとピンと来ない話かもしれませんが、そういう人を見かけたことはあるかもしれません。
ただ、僕のように自分の中にため込んでしまうタイプの人だと、周囲の人はいよいよ気付かない訳なのですが…。

チームでやる作業より、一人でやる作業の方を好みます。
ダイレクトメールの封緘作業を一日黙々と続けていても全然平気です。
逆に、みんなで材料を持ち寄ってアウトドアでバーベキューなんか始めると、たちまち何をして良いか分からなくなります。
料理ができないという意味ではありません。
自分ひとりであれば、自分のやりやすい方法と順番で黙々とこなしてしまうでしょう。
ところが、みんなが一斉に自由に動き出すと、そのうちの何をやれば良いのか、全然わからなくなってしまうのです。
ただ、チームでやる作業でも、役割分担がきちんとしていれば問題なく作業できます。
材料の切り込みを任されれば黙々と食べやすい大きさに材料を切っていきますし、飯盒炊爨を任されれば火の前から一歩も離れることなく最後の一缶まで責任もって炊き上げます。

作業手順や目的が明確な作業は得意だけど、曖昧な要求に曖昧な成果を求められるような作業は苦手と言えましょうか。
一定のルールに従って会話をできる相手とは普通に話ができますが、色々な意味でフリーダムな人との会話は非常に苦痛です。
ライン作業もトラブルが皆無なのであれば黙々とこなしますが、頻発するトラブルに手探りの対応を迫られた日には、そりゃもうパニックものです。
では突発事態が苦手かと言えばそうでもなく、事故に巻き込まれた時には割と冷静に粛々と行動していたりします。
どうやら、決められたルールの中で作業をしている中で、それを覆すような要求をされると強いストレスを感じるようです。

特定の行動において一定の様式を繰り返すことを好むということは、ただひたすら同じことを繰り返すという意味ではありません。
一見同じことを繰り返しているように見えますが、実は少しずつ「進歩」しています。
それはより合理的な方法への修正であったり、遊び心の付与だったりします。
例えば職場で同じ仕事を毎日繰り返しているように見えても、日々効率的になっていくことで、いつの間にか生産量を上げていたりします。
それも無理なく手堅い方法で。

今の世の中は、やたらと目新しいこと、劇的なことを求める風潮があります。
ところが、時間をかけてゆっくり変化していくものだから、なかなか周囲の人に理解してもらえない。
周囲の人からしてみれば、まるで変化を拒んでいるかのように映るようです。
そうではありません。
新しい行動や様式を受け入れるのに、どうしても人より時間がかかってしまうのです。
ところが周囲が待ちきれなくて急かすものだから、修正が追いつかなくなってパニックになってしまう。
すると、そこへ発達障害というレッテルを貼り付けて、いわゆる「障害者」として切り捨ててしまうのです。

ニッポンという社会は、随分と不思議なところです。
基本的には保守的であることが好まれるのに、トップダウンで決められたことには愚直にまで従おうとします。
変化を求めてもいけないし、変化を拒んでもいけないらしいです。
主人公でいられるのはごく一部の限られた有力者であり、大多数の人はそれに従うのが良しとされます。
果たしてそうなのでしょうか。
有力者に従ってさえいれば、平穏な日々が送れるのでしょうか。
束の間の安寧は確保されるのかもしれません。
でもその先に待っているのは何でしょう。
日々の生活を管理され、不本意な作戦を強要され、役に立たなくなれば切り捨てられます。

どうして自分自身が主人公であってはいけないのでしょうか。
それはもちろん、他の皆もまた主人公であるという前提でです。
物質的な豊かさは遠のくかもしれません。
でも生きることを辞めてしまうことを考えれば、果たしてどちらが良いのでしょうか。
長生きしたいとも思いませんが、滅私奉公で一生を終えるつもりもありません。
当時働き盛りだった従兄を突然死で亡くして以来、ますますそのように考えるようになりました。

求められた変化が果たして必要なものかを十分に考え、自分で判断し、そして時間をかけて変化を受け入れていくこと。
これを僕は「変化することへの自由」と呼んでいます。
変化は決して他人から強要されるものでもないし、また拒み続けるものでもありません。
議論とは、どちらが正しいのかを争うものではなく、新しい選択肢を作り出すことです。
いわゆる「話し合いの場」というものが日々苦手になっていく、ASD当事者のひとりごとです。

(※この記事へのコメントは、SNS上にて受け付けています。)

テーマ : アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)であることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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