真実は一つとは限らない


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霧雨魔理沙
「盗んだんじゃないぜ? 借りただけだ。」


パチュリー「黙って持っていって返さないのは、借りるとは言わないわよ。」
魔理沙「誰が返さないと言った。どうせお前たちの方が長生きするんだから、私の死後取り戻せば良いじゃないか。」
パチュリー「…ふん。お前は間違っている。私は期間がどうであれ、お前に本を貸すつもりなど微塵もない。」

東方三月精の中にも登場する有名なやり取り。
価値観の相違って、難しいですね。(o・ω・)(・ω・o) ネー

パチェ×マリ?
二次創作ではよくあるお話ですが、事実ではありません。
もしくは、我ら愛に餓える悲しき闘志たちが産み出した幻想。(´;ω;`)ブワッ


     * * *


「真実はいつもひとつ!」と言えば某国民的漫画の名台詞ですが、
「事実は一つしかないが、真実は人の数だけある。」というのもまた有名な言葉です。
ただ今、憲法の改変をめぐる動きが活発になっております。
「アメリカに押し付けられた憲法ではなく、自らの手で作り上げた憲法が必要。」
というのが改憲派でよくある主張です。
その一方で「草案を作ったのは日本人」という護憲派の声も見え隠れしますが、どうにも掻き消されがちです。
そもそも、なんでこんなことになってしまったのでしょう。
それには、当時の状況を振り返る必要がありましょう。
そこで、敗戦直後の鉄道にまつわるお話をひとつ。

事件は1947年2月25日に起こりました。
八高線東飯能~高麗川を走行中の普通列車が脱線しました。
十分に速度を落とさないままカーブを通過したため、後部の車両が築堤から転落し大破。
犠牲となった人の数は184名。
今でも日本の鉄道史上最悪の事故とされています。

事故の直接の要因は、徴兵による経験者不足。
超満員の買い出し客で重くなっていた列車を制御しきるには、職員の経験があまりにも浅すぎたようです。
戦後混乱期で、整備が十分でなかったことも影響していましょう。
でもこれほどまでの惨事になったのは、転落した客車がいずれも老朽化した木造車だったことです。
もし鋼製車で組成された列車であれば、文字通り「粉砕」という事態だけは避けられたはずです。

事故が起これば大きな被害を出してしまう木造車。
酷使と老朽化による状態不良も深刻で、窓や椅子の破損など序の口、床や壁に穴が開く車両まで出る有様。
いつ事故が起きてもおかしくない状態でした。
運輸省(1949年の公社化までは国が鉄道を直営。現在のJR。)とて、漫然と事態を放置していた訳ではありません。
優等列車こそオール鋼製車編成に置き換えていましたが、普通列車にまでは手が回らぬ状況。
当時残っていた木造車の数は5,510両。
資材と資金をかき集めてスハ42形などの客車を細々と新製していましたが、到底は焼け石に水。
しかもGHQ(連合軍総司令部)は異常なインフレ状態を抑え込むために1949年よりドッジ・ラインを実施。
公共投資が著しく制限され、CTS(民間運輸局)から進駐軍・外国人用以外の客車を新製することを事実上禁止されたため、いよいよバンザイするしかないという状況にまで追い込まれてしまいました。

運輸省は考えました。
資材や資金こそは足りませんでしたが、敗戦で経験者が続々と復員してきたので、人手と技術は十分に確保されています。
むしろ雇用対策として、安定して働ける職場が必要でした。
ならば木造車をバラして、徹底的に資材や部品を再利用して、鋼製車として生まれ変わらせることができるのではないかと。
うまくやれば、当時最新鋭のスハ42形のような客車を安価かつ大量に作り上げることが可能となるのです。

でも事実上は新製を禁止されているスハ42形です。
CTSから横槍が入ることも十分予想できました。
そこで運輸省は一計を案じることにしました。
まずCTSの幹部をオフィスから引っ張り出して、買い出し客で溢れる総武線列車を視察させました。
総武線と言えば、千葉以西こそは新鋭の通勤電車が元気に行き交う線区ですが、千葉以東となれば首都圏各地でお払い箱となった電車が余生を送る地として定評があり、今も京浜東北線で定年を迎えた209系電車が房総の潮風がそよぐ中をのんびりと走っております。
潮風の方は今も当時も変わりませんが、車両の方は凄惨の極みでした。
窓はガラスを失い、椅子は用を成さず、隙間のあいた羽目板はスシ詰めにされた乗客の圧力でいつ破れてもおかしくない有様。
さすがのCTS幹部も言いました。
「これはひどい。人間の乗る車ではない。まるで家畜車だ!」
このまま放置して被害者が出るような事態ともなれば、CTSも責任を追求されることは必至です。
さりとて、そこでスハ42形の追加新製を許してくれる程、CTSも甘くはないです。
ここで、先ほどの木造車鋼体化計画を持ち出す訳です。
あくまでも改造だと。決して新車を作る訳ではないと。

こうして1949年に登場したのがオハ60形客車です。
定員80名だったスハ42形の車内設備を木造車並に落とすことで定員96名を確保。
台枠構材から網棚受けに至るまで、金属品の徹底した再利用。
吹き寄せが視界を隔てる古風な3連窓に、雨樋もない倹約仕様。
CTSも納得の実にチープな仕上がりです。
実はこれも作戦の一つ。
一度軌道にさえ乗ってしまえば、後々の変更など楽なものなのですから。

オハ60形の登場した翌年の1950年にオハフ61形が登場します。
単純に車掌室と手ブレーキが付いただけと思いきや、予想を遥かに超える姿で出場してまいりました。
見晴らしの良い1m幅の窓、丁寧に仕上げられた車体の上部には雨樋の姿も。
座席こそ木造車のものを再利用した詰め込み設計でしたが、TR11台車の乗り心地さえ目をつぶれば、それはスハ42形に匹敵する美しさでした。
むしろ、車端部に寄せた車掌室や後方監視窓など、翌1951年から登場するスハ43系急行用客車の姿を彷彿とさせるものでした。
オハ60系客車は着々と改造が進み、1955年には木造車を営業線から駆逐しました。
まだまだ先進諸国でも木造車が残っていた時代だけに、これは世界レベルでの快挙でした。
作戦は大成功したのです。

さて、木造車の鋼体化改造を推し進めたのは誰でしょう。
ここまで読んでくださった方なら、間違いなく日本人の偉業と考えるでしょう。
でも公的にはあくまでも「進駐軍からの命令」だったのです。
このことと現行憲法の成立の過程には、共通する「ある事情」が見えてきます。
それは進駐軍の許可なくしては何もできず、逆に進駐軍の許可があれば何でもできたのです。

では、戦後の評価にここまで大きな隔たりができたのは何故なのでしょう。
木造車の鋼体化改造については、余程の趣味人でなければ反対する理由はありません。
資金面での問題こそありましたが、最低限の良識さえ持っていれば、乗客の命を危険にさらしたままで良いなどと言う人はまず居ないでしょう。
ところが憲法はそうはいきません。
政府から出された草案が進駐軍に一蹴された様子を見れば、当時から賛否両論だったことは容易に想像できます。
そして当時の改憲派と進駐軍が手を組んだというのも、当然の成り行きだったのでしょう。
新しい憲法を公布する上で、進駐軍のお墨付きというものは実に効果的でした。
少なくとも、新憲法制定を反対する人の声を封じ込めるには十分だったようです。

形あるもの、いつかは必ず崩れると申します。
戦後60年が経過し、いよいよその結界が解けてきた模様です。
当時護憲派だった人が、今度は改憲派として声を上げるようになったのも、考えてみれば至極当然の結果なのかもしれません。
60年を経て、ようやくまともに話し合える時が来たのかもしれません。
ところが現実としては、改憲派は数の力でゴリ押しするばかりですし、護憲派も現行憲法の素晴らしさを一方的にまくしたてるばかりです。
話し合いというより、口喧嘩をしているようにしか見えないのは僕だけでしょうか。

護憲が望ましいのか、改憲が望ましいのか。
今ここで議論するつもりは毛頭ありませんので、そういう話がしたい方は、しかるべき集会等で意見を闘わせることを強くお薦めします。
ネット上では「声が大きな方が勝ち」とばかりに、悪意をむき出しにした暴言も散見されますし、書き込み件数の力でゴリ押ししようという風潮も相変わらずですから、鵜呑みは危険です。
もちろんマスコミだって、先の松本サリン「冤罪」事件の例を持ち出すまでもなく、偏向報道は相変わらずです。
自分の立場から都合の良い情報だけをチョイスして理論武装するのではなく、双方の視点から物事を見つめ直し、自分なりの答えを組み立てていくことが必要なのだと思います。

絵を描く基本はデッサンと申します。
それは、写実的に描き出すことが目的ではありません。
物の形を理解するために、様々な方向から姿や構造をとらえるための訓練なのです。
なので、写真や他人の絵を模写してもデッサンとは言いません。
模写はあくまでもデッサンを補助するための作業。
手段が目的になってしまってはいけません。

何かと余裕がない時代、すぐに結論を出したがる風潮がありますが、こういう時代であるからこそ、慎重に立ち回りたいものであります。
自戒を含めて…。

テーマ : 鉄道
ジャンル : 趣味・実用

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)であることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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