人生ローグライク



黒谷ヤマメ「食~べちゃ~うぞ~♪」

蜘蛛って肉食なんですよね。
ヤマメさんって、アリとかキリギリスとかも好物なのかなぁ…。

「アリとキリギリス」と言えば、有名なイソップ寓話のひとつです。
夏の間ずっと遊んでいたキリギリスは冬になって餓え死に、せっせと働いていたアリは貯めておいた食糧のおかげで無事に冬を越すことができたというお話です。

怠け者を戒め働き者を褒める話として解釈されることが多いですが、それとは別の解釈もあります。
忙しさのあまり余裕を失い、他者を平気で切り捨てるようになったアリの姿とか。
そもそも自然界では冬まで生き延びること自体が難しいのですから、限りある人生を十分に楽しむキリギリスのような生き方だって十分にカッコイイです。

ちなみに、キリギリスは当初はセミだったそうです。
ヨーロッパに伝わった後、当地ではあまり馴染みのないセミがキリギリスに置き換えられ、それが日本に伝わったのだそうです。
アリがキリギリスに食糧を分け与えてキリギリスが改心するハッピーエンド・ヴァージョンは近年になって登場したものです。
「フランダースの犬」にも、ハッピーエンド・ヴァージョンが登場するご時世です。
「マッチ売りの少女」の、大団円ヴァージョンが登場する日も近い!?

     * * *

ローグライクゲームというのをご存知でしょうか。
コンピューターRPGゲームの一つなのですが、他のRPGと決定的に違う点があります。
出現する迷路も敵もアイテムも基本的にランダムで、与えられる限られたアイテムのみでやり繰りせねばなりません。
冒険の途中で闘いに破れたり断念したりした場合は、レベル、装備、持ち物の全てを剥奪の上、ダンジョンの入り口まで戻されるというものです。
コンピューターゲームの中では古典的な部類なのですが、今でも根強い人気があります。
有名なところでは「トルネコの冒険」や「風来のシレン」など。
ちなみに僕が最近ハマっているのは「みらくる超パーティー」です(笑)

レベルが1に戻ってしまうので「レベルを上げて物理で殴る」という訳にもまいりません。
集めたアイテムも鍛え上げた武器や防具も、すべては水の泡です。
セーブデータも強制的に上書きされるので、途中まで戻ってやり直すこともできません。
出現する迷路も敵もアイテムも基本的にランダムなので、再現することも不可能です。
何が与えられるかも分からず、やり直しも利かず、一度失敗すれば文字通り一からやり直さなくてはならないという、恐ろしいゲームなのです。

文字通り丸裸にされて放り出されてしまう訳ですが、たった一つだけ奪われないものがあります。
それは、プレイヤー自身の経験です。
確かに、コンピューターの中身は白紙の状態に戻されてしまいます。
でも、そこまで積み重ねた自分自身の経験は、自ら忘れることはあっても、他者から奪い取られることはありません。
失敗を重ねて、人は成長すると言います。
一度失ったものは二度と取り戻すことはできません。
しかし体力さえあれば、もう一度やり直すことはできます。
過去の失敗は、いずれ困難を切り抜けるための道標となりましょう。
まさに人生というものを体現したゲームなのではないでしょうか。

     * * *

知らぬ間にストレスを溜め込んでしまう習性でもあるのでしょうか。
就職活動については、再び白紙に戻りました。
人生、何度目の白紙でしょうか。
その中で、徐々に変わってきたものがあります。
それは就労に対する意識です。

今までは、とにかく就労しなきゃいけないと自分を追いつめていました。
障害厚生年金の受給が決まっても、やはり同じでした。
とにかく「人並みの暮らし」に固執していました。
ところが歳を重ねるにつれて「人並みの暮らし」の定義が変わってきたように思います。
むしろ、今まで「人並みの暮らし」だと思っていたものは、実は「今と変わらない暮らし」だったのではないのかと。

変化に対する恐怖が健常者よりも強いのが、発達障害の特徴の一つとされています。
極端な話で言えば、いつも決まった列車の決まった車両の決まった椅子に座っていたのが、ダイヤや編成の組み替え等で変わってしまうと、途端にパニックになってしまうみたいな感じです。
変われば変わったなりに自分の居場所を見つければ良いのですが、そこまで気持ちを切り替えるのに随分と労力と時間がかかる人なのです。
頭の中にスイッチがあって、それがどうにも動いてくれない感じです。
だから、一度誰かに好意を寄せるとどこまでも信用しますし、逆に敵意を抱くとどこまでも避けようとします。
同じ相手でもTPOによって接し方を変えるなんて高度な技は、アクションゲームでコマンド技を繰り出すような世界です。
なにせ、レベルを上げて物理で殴る方が性に合っている人なので(苦笑)

この世に変わらぬものなどありません。
今は健在の親も、いつかは死別します。
人だって、家だって、社会だって、永遠なんてものは存在しません。
今は文字通り湯水のごとく使っている「飲用できる水道」や「停電することのない電気」だって、貴重品となる時代が来てもおかしくはありません。
そもそも輸入に頼っている我が国が、食糧をふんだんに得ていること自体が奇跡と言えましょう。
時の流れによって刻々と変化していく中にあって「今と変わらない暮らし」なんてものは存在しないし、その時々に応じた暮らし方に変えていける人の方が、実は幸せな生き方を歩んでいる人なのかもしれません。

冬の訪れに備えて食糧を蓄えてはみたものの、その冬がいつ終わるかは実は誰も知りません。
冬が終わる前に食糧が尽きて餓えることもあれば、食糧を蓄えるだけで人生を終えてしまうこともありましょう。
アリとキリギリスを比較しても始まりません。
大切なのは、あるかどうか分からない未来よりも、確実に訪れるであろう明日に備えることなのではないかと。
そう考えた時、本当に持っておかねばならないアイテムは、意外と少ないものです。

就労しないといけないという自縛を解いた時こそ、本当の意味での仕事探しが始まったと言えましょうか。
ガムシャラに働くばかりでは決して長続きしないことは何度も経験しています。
かと言って、福祉的就労の名のもとに小遣い程度の額を稼ぐために一日を費やすのも御免です。

貯金が尽きてしまえば生活保護だってあります。
生活保護受給者に対するパッシングが花盛りですが、僕に言わせてみれば「弱い者いじめ」以外の何物でもありません。
「いじめ」を止めようと言ってる立場のヒトビトが、率先して「いじめ」の方法を教えている訳ですから、もはや乾いた笑いしか出て来ないというものです。
もし本気で生活保護費を減らす気があるのなら、まずは就労の受け皿を作るのが道理というものです。
でも現実には不安定な雇用形態の拡大と連動して、貧富の格差は本人の努力ではどうしようもないレベルにまで達しています。
インフレ誘導で資本家のマネーゲームを活発にさせるぐらいなら、まずは安定した雇用環境と市場経済を整えた方が国としても安定するはずなのに、なぜかそういう話にはなりません。
彼らは、どうしても虐めたい相手が欲しいようです。

お金がかかりすぎる今の選挙制度では、当選議員はどうしても富裕層に偏ります。
庶民の感覚が選挙に反映されることはなく、棄権する人が増えるのも道理というものです。
そして適当なスケープゴートを与えておけば、自分たちに矛先が向かないと思われているのですから、僕らも随分と舐められたものです。
こんな世の中ですから、エラい人の言うことを鵜呑みにして正直に生きてみても馬鹿を見るだけです。
そもそも僕自身が馬鹿正直すぎる人ですから、これぐらいで丁度いいのかもしれません。

幸せの形はひとそれぞれ。
美しいと思う形もひとそれぞれ。
美しい町並みは、生活の匂いと反比例すると申します。
エアコン完備の部屋で一日正座して暮らすぐらいなら、ボロ布団にくるまってゴロゴロしている方が良いです。
僕らには、個々が望む形で幸せを追求する権利があるのですから!

ここ数ヶ月、少々色々なものを背負い込みすぎたようなので、一旦荷物を下ろして一休みさせて頂きます。
疲れが取れれば、また歩き出す元気も湧いてきましょう。
仕事をしないと決めた訳じゃありません。
むしろ、落ち着いて働ける場所を見つけるために長期戦に転じたというべきか。

種まきは続けております。
花が咲くかどうかは分からないけど、少なくとも種のない場所に花は咲きません。
どんな花が咲くのか楽しみに、残りの人生をのんびりと歩んでまいります。

     * * *

今日は、いつものように京大病院で診察を受けてまいりました。
近くにある京都市美術館でゴッホ展をやっていたので、帰りに寄ろうかと思いましたが、診察で疲れたのと雨が降り出してきたのとで、病院だけで帰ってきました。
家に帰ってお昼寝したら、随分と楽になりました。
やっぱり疲れていたようです。(*ノωノ)

テーマ : 広汎性発達障害
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
広汎性発達障害があることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

FC2カウンター
カテゴリ
最新記事
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク