障害者権利条約に批准はしたけれど…

2014年2月8日、京都市堀川今出川の西陣織会館で開催されました「共に安心して暮らせる京都デザインフォーラム」に参加してまいりました。
副題は「障害があることによって困ること、いやな思いをすることがない社会のために」です。
第1回目である今回は、障害者権利条約の仮訳作成をされた長瀬修さん(立命館大学客員教授)をお招きして、「『障害者権利条約』を京都の文化に」というテーマで基調講演をして頂き、それに続く形で「条例づくりで見えてきたこと、これからの京都」というテーマで、それぞれの立場の方々からお話や寸劇等をして頂きました。

以下、この日聞いたお話に加え、これまでに僕自身が見聞きしたり考えたりしていたことなどを織り交ぜて書き連ねています。
思い込みや勘違いなどありましたら、どうぞご容赦願います。

日本では、2013年12月に国会で障害者権利条約の批准が承認されました。
国としては140番目の批准であり、世界的に見れば大きく遅れを取っています。
というのも、政府としては早くに批准に漕ぎ着けたかったのですが、障害者団体からストップが掛かったからなのです。
これだけ書くと、なんとも奇妙な話に思えます。
でもこれこそが、この国に暮らす障害者の実情を端的に表しているのです。

「自立」が意味するものとして、どんなイメージを持つでしょうか。
自らの稼ぎで世帯を構え、家族を養うというイメージを抱かれる方が大多数かと思われます。
確かにこれは間違いではありません。
でもこれは、「経済的な自立」だけが一人歩きしていることに他なりません。
僕らの考える「自立」とは、「自らの責任で決定し、自らの意思で行動することが保証された状態」を意味するのです。
そしてこの権利は、現行の日本国憲法の中でも第14条に「法の下の平等」として明確に規定されています。

第2次安倍内閣が成立して以来、現行憲法の改訂がにわかに現実味を帯びてまいりました。
自民党が提案する改訂憲法は、「国家の権利と国民の義務」を前面に打ち出したものとなっています。
これは、現行憲法の謳う「国民の権利と国家の義務」とは真逆のものです。
現行憲法が「国家は、国民によってコントロールされねばならない」としているのに対し、改訂案では「国民は、国家によってコントロールされねばならない」とされた訳です。
かつての大日本帝国憲法の再来と言われる所以です。

なにを大袈裟な…と思われる方も多いかと思いますが、この現実を真っ先に突きつけられるのは、いつの時代も常に弱い立場に立たされた者です。
戦争をして得する人は誰でしょうか。
戦禍に追われ、生命さえも奪われる一般市民でもなければ、前線の兵士でもありません。
安全な場所に隠れて、声なき人々の生命や財産をチップにしてゲームしている人たちです。
そしてチップにすらならない者は、切り捨てられるのみです。

先日、桂文枝さんのお父さんの話がテレビで紹介されていました。
文枝さんのお父さんは、肺病のため一旦は徴兵が免除されていたそうです。
ところが戦局の悪化により徴兵され、病人や障害者ばかりで編成された部隊に組み込まれました。
連日にわたり重火器の運搬などの過酷な労働を課せられ、徴兵された方々は次々と倒れていきました。
そして文枝さんのお父さんも、肺病の悪化で還らぬ人となったそうです。
病人や障害者までも動員しないといけないほどの人手不足だったのでしょうか。
番組の中では語られていませんでしたが、見せしめ的な何かを感じたのは僕だけでしょうか。
「国家の役に立たない者は、生きる資格すらない」と。

今まさにこの流れが繰り返されています。
2006年から施行されていた障害者自立支援法など、その最たるものです。
受益負担と言えば聞こえは良いですが、福祉サービスを受けたければ費用の一割を払えという法律です。
一見、もっともそうな話に聞こえますが、実はとんでもない話です。
先天性・後天性に関係なく、障害の有無は本人の責任ではありません。
贅沢がしたくて福祉サービスを受けるのではありません。
一人の人間として生きていくために欠かすことのできない最小限の支援を求めているに過ぎないのです。
「自立」を名目に、障害の有無を個人の責任に転嫁してしまうという悪法です。
世界の流れに逆行する国「ニッポン」…これが、僕らから見た今の社会の実態なのです。

ここで最初の話に戻ります。
なぜ、日本の障害者団体が障害者権利条約に批准することに反対したのか。
それは、今の福祉行政が健常者主体で進められているからです。
「お世話をしてあげるひと」と「お世話を受けるひと」という二極体制が続く限り、この溝は永久に埋まることがないでしょう。
今の状況は、批准するも批准しないも全てが健常者の考え次第です。
健常者が「Yes」と言えば、それで「Yes」になってしまうのです。
障害者にとって、これほどの屈辱はありません。
だからこそ、当時の障害者団体は批准に反対していたのです。

障害者自立支援法は、2013年に障害者総合支援法に改正されました。
障害者抜きで決められた障害者自立支援法に対して、今回は障害者も制定に加わりました。
確かに加えてはもらえました。
でも結局は、健常者側の意に沿った形での改正になりました。
今の政府が音頭を取っている限り、こういう状況はこの先も続くことでしょう。

障害者権利条約に批准したことで、一定の縛りは掛かるようになります。
条約の中には障害者の自立についても明記されており、当事者を無視して勝手に話を進めることを明確に禁じています。
その一方で、当事者が不利益になることを知っておきながら放置することも禁じています。
子育てに例えるなら、子どもを不当に支配することも虐待であれば、子どもの言いなりになってしまうこともまた虐待であるのと同じことと言えましょうか。
つまり、どっちが強いかという話ではなく、対等に一人の人間として接するための合理的配慮を実践することが求められているのです。
だから、保護者や施設の都合で当事者を支配することを禁じると同時に、当事者が保護者や施設を奴隷や召使いのように扱うことも同時に禁じていると言い替えることもできましょうか。

かつて「寝たきり老人」が問題になったように、今の日本はまだまだ「お世話する」という概念が抜けずにいます。
この溝を埋めることができるのは、健常者ではありません。
障害者自身が当事者として語らぬ限り、この溝は永久に埋めることができません。
そのための仕組みを作る上で必要なのは、先に述べた現行憲法の「国家は、国民によってコントロールされねばならない」という考え方です。
自民党の推し進める「国民は、国家によってコントロールされねばならない」なんて憲法になったら、障害者は永遠に健常者の支配下に置かれ続けることになりましょう。
もちろん国家による統制下に置かれるのは障害者だけではありません。
今この文章を読んでおられるであろう全員です。

政府がこんな状況ですから、今の政府を頼っていては障害者の未来は萎むばかりです。
そこで今回提案されているのが、それぞれの自治体で条例を制定していこうというものです。
今現在の政府こそ保守政党の独壇場ですが、自治体に目を転じれば市民の声を重視した行政を推し進めている自治体も決して少なくありません。
まず自分たちが暮らす自治体の中で条例という形で障害者権利条約の批准を実践し、その輪を広げて行くことで最終的には日本国内の全域をカバーしようという壮大な計画です。

それは誰かが実行してくれるのを待っていてはいけません。
まず障害者ひとりひとりが当事者として声をあげ、行政を動かしていく必要があります。
そのためには、まず障害者権利条約というものを自身で理解せねばなりません。
だからこそ、このような形で学習会を開いたという次第です。
障害者権利条約の批准により、障害者を取り巻く環境が一度はマイナスに傾いたものを、ようやくゼロに戻すことができました。
これをプラスに持って行くためには、僕たちがきちんと障害者権利条約について学び、ただ一方的に要求するのではなく、双方が対等に話し合うことが重要なのだと考えます。

今回は、その出発点。
ようやくスタートラインに着くことができたに過ぎないのです。
最初の一歩を歩み出せるかどうかは、これからの努力次第です。
決して順風満帆とはいきませんが、自分たちの未来を賭けて、少しずつでも漕ぎ出していきたいと願います。

   * * *

以下、蛇足です。
こういう話を書くと、決まってアンチレスを付けようとする方が居られます。
話し合いとは、お互いに相手の話を聞き、よく噛み砕いて消化し、より高い次元での合意を目指すものです。
決して、相手の意見を握りつぶすことではありません。
ヘイトスピーチは、何も建設的なものを生み出しません。
負の感情から生まれる物は、負の財産にしかなりません。

最近、インターネットの普及に追従するようにして、条件反射的に書き込みをされる方が増えています。
その書き込みは、今すぐに書き込まないといけないものでしょうか。
相手の人格を否定してまでも守りたいものなのでしょうか。
もし持論があるならば、自らの日記やブログで展開されることを強く薦めます。
少なくとも僕は、常に立ち寄る場所の新着記事は極力全部目を通すようにしているつもりです。
自分の考えに合わない意見も目にしますが、これもまた貴重な意見だとありがたく頂戴しています。

万人が満足するような解答など、そうそう得られるものではありません。
誰かが意見すれば、別の誰かが首を傾げるというのは当然のこと。
意に沿わぬからと潰して回っていたら、それは話し合いとは真逆のものです。
だから異論反論大歓迎なんてことは絶対に言いません。
意に沿わぬなら、どうぞスルーしてやってください。
万人に受け入れてもらえるなんて傲慢なことは言いませんから。

もし願わくば、自らを取り巻く環境が大きく変わった時にでも、もう一度振り返って頂ければ幸いです。
昔、こんなことを言っていた人も居たな…ぐらいに思い出してもらえれば、これほどの喜びはありません。

テーマ : 広汎性発達障害
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)であることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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