障害者権利条約の学習会をきっかけにして

2月8日に京都市堀川今出川の西陣織会館で開催された障害者権利条約の学習会に参加して以来、心の中の主電動機が弱界磁段へノッチアップした模様です。
エンジンでいうところの過給機作動…自動車で俗に言う"ターボ"とは、ターボ式過給機のことらしいです。
電車のことは幼少期から詳しいけど、自動車の関する知識は割と偏りが激しいひとです。

その学習会については、こちらに掲載しています。
「障害者権利条約に批准はしたけれど…」
http://kazuya075.blog12.fc2.com/blog-entry-337.html

帰宅後は疲れの方が大きかったのですが、夕食に頂いたビールで良い具合にアルコールが回ったおかげか、その日の晩のうちに記事を書き上げてブログにアップ。
これだけならアルコールの成せる業とも言えるのですが、翌日から家に居るのがもったいないぐらいの勢いで、あちこちに出かけては、この話ばかりをしているので、どうやら僕の中にある何かのスイッチが入ったみたいです。
ここのところ、どうにも墜落寸前で低空飛行をしていた訳ですから、決して悪い状態ではありません。
ただ、テンションが上がりすぎると反動も壮絶なので、勢いに任せて駆け回らない程度にはブレーキをかけているつもりです。

学習会をきっかけにスイッチが入ってどうなったか。
それまでネガティブ思考が支配していた行動パターンが、一挙にポジティブ思考に反転しました。
まず、学習会の翌日の日曜日…いつもの教会でのお話。
この日は、天皇制について考える集会が午後から教会で開かれる予定でした。
対人恐怖症に加え、じっと人の話を聞いているのが苦痛なので、主日礼拝が終わったらすぐに帰宅するつもりでいました。
帰り支度をしていたら携帯電話が鳴り、個人的事情でしばらく教会に残ることになりました。
これも何かの導きなのかと観念して、誘われるがままに参加したのですが…。
…一言でたとえるなら、20年前に若返った自分がいました。
大学生協や保育現場でバリバリ活動していた頃の自分です。
その後の20年の成長がプラスされているので、むしろパワーアップしているとも言えましょうか。
正直、自分でも驚きました。

変化は月曜日も続きます。
やはりこの日も、学習会の報告だけして帰るつもりで、いつもお世話になっている障害者地域活動支援センター「ほっとハウス」(宇治市小倉)に出かけたのですが、今度はMacBookに関するヘルプの電話が入り、その対応のためにそのまま残ることになりました。
この際だから白状しますが、僕自身が一部の利用者と顔を合わせるのが嫌で、長居しないようにしていました。
大きな声でわがままを言う人が大嫌いで、しかも狭い部屋の中ですから余計にストレスがたまります。
相性が合わないのだから無理して一緒に居ることもないと思い、ずっと避けていたのです。
この面でも変化が現れました。

話は学習会の前日の金曜日まで遡ります。
重い統合失調症のため配慮を欠く言動を繰り返す女性利用者が、躁鬱病のために沈黙モードになっている韓国籍の男性利用者に無視されたことに腹を立て、言い争いになる場面がありました。
その中で、その女性利用者は「韓国に帰れ!」と言い放ったのです。
この施設には、在日韓国人の方も居られれば、その身内の方も居られます。
ましてや、差別される側の人を守るべき立場にある施設内での出来事です。
到底許される発言ではありません。
ところが、その時点で誰も注意する人が居なかったので、納得がいかなくて月曜日になって所長のTさんに事情を聞きました。
すると、逆に切り返されました。
「あなたこそ、その場に居たのに何もしなかったじゃないか!」

最初はカチンと来て、言い合いになりそうになりましたが、どうにか自力で抑えました。
実はこういうことができるようになったのも、この10年ばかりの話です。
それで、どうにか着地点を見つけようと、あちこち話をぐるぐる回っている間に、別の方が仲立ちに入ってくれたこともあり、話は収束に向かいました。
その中で、Tさん自身も告白なさいました。
「僕自身は怒っているつもりはないのに、よく怒っていると誤解されることがあって、自分でも困っている。」
涙がこぼれました。悲し涙ではなく、嬉し涙です。
そして、金曜日の暴言はその日に始まったことではなく、以前から続いていて解決のための話し合いを続けている真っ最中だったことも知らされました。
結局のところ、僕もTさんもお互いの言動に間違いはないけど、お互いに配慮が欠けていたのだと認め合うことができました。

これらの話を経て、僕も随分と感じ方が変わりました。
それまで、人の注意も聞かずに大声を上げるだけだと思っていた人も、大声に至るまでの過程が理解されていないことが周囲に誤解を招いていたのだと。
それは知的障害や発達障害の人がパニックになって、まるで暴れているように見えるのと同じことです。
本当は言いたいことがあるのに、それが言えない、もしくは言ってはいけないと我慢している状況。
自分の思いと周囲の思いがどうしても重ならない時、それが大声や暴言という形で現れているのだと。
目で見える形で表現する人ばかりとは限りません。
弱者に対して暴力を振るう行為も、自らが自らの身を傷つける行為も、負の感情が外に向かうか内に向かうかの差だけで、実は同じ行為の裏表なのです。
そのように理解できるようになった時、僕の中にたまっていた負の感情は随分と減りました。
仲良く…というのは流石に無理ですが、少なくとも無駄に腹を立てることは少なくなりました。

ここまで整理できたのが火曜日の話。
なので水曜日はそろそろ終わりだろうと思っていたら、また大きな変化が訪れました。
きっかけは、やはり電話です。
もともと、先の学習会の世話人であるYさんにお礼を言う機会を探していたのですが、普段は仲立ちに入ってくださるKさんが風邪でダウンしていると知らされ、Yさん自身はJCIL本体におられるとのことなので、直接伺うことにしました。
と言っても、僕自身はJCIL本体との関係が薄いので、JCILの運営しているコミュニティサロンの方へ伺わせて頂きました。
実は、このこと自体が奇跡にも等しい話なのです。
なぜなら、昨年の春に障害に対する配慮を巡ってサロンのリーダーさんと言い争いになり、ずっと仲違いしていたのです。
お互いに挑発こそしないだけで完全な冷戦状態。
僕自身ひとのことは言えませんが、一度喧嘩してしまうと修復が難しい者同士が、喧嘩から冷戦状態に至ったと言えば状況が見えてきましょうか。

サロンの玄関先では、リーダーさんが就労支援で続けているロウソク作りの準備をしていました。
前なら、お互い無視して気まずい空気を残すだけでした。
それが僕の方から自然と声を出すことができたのです。
それも、にこやかに!
自分でも正直驚きました。
こんな風に声を出したのは、もしかすると前の会社で仕事が続けられなくなって以来なのではないかと。
サロンに集まっていた懐かしい面々も、その変化ぶりに驚いていた様子です。
リーダーさんと直接会話するのは流石に無理ですが、半年以上ぶりに冷戦状態が終結したことこそが画期的。
皆、そのことを喜んでいる様子でした。

YさんはYさんでKさんから僕が来ることを聞いていたらしく、JCIL本体の方で待っていたようです。
僕はYさんが遅めの昼食をサロンでとることを知っていたのでサロンで待っていたのですが、ここでも「すれ違い」が発生していました。
Yさんがサロンの方へ電話して来られて、初めて「すれ違い」だと気付きました。
これなど分かりやすい話だと思いますが、これまでの障害当事者運動の中で何度も直面して来た「障害者と呼ばれて来た人」と「いわゆる健常者と呼ばれる人」との間にある「壁」は、実際のところ、こういうことの積み重ねが生んだ誤解と偏見の産物なのかもしれません。
Yさんが遅めの昼食を頂いているそばで、お話をするチャンスを得ることができました。

Yさんは、60年に渡って「非暴力による運動活動」を貫いて来られた方です。
今の安倍首相は、武力をもって暴力を封じ込めることを「積極的平和主義」だとしていますが、これは完全な誤用です。
そもそも「消極的平和主義」とは自然発生的に争いがない状態を維持することを言い、本来の意味での「積極的平和主義」とは、対立が発生しても武力に頼らず話し合いによって解決できる関係を構築することを言います。
このような話をすると、理想論だと一笑に付される方も少なくないのですが、そういう方こそYさんの生き様を知って頂きたいです。
Yさんは、骨形成不全症のため自力での歩行が困難で、長らく電動車椅子を使った生活を送っています。
骨折しやすい体質でもあるため、健常者であればせいぜいよろめく程度の衝撃であっても、命にかかわる大怪我になってしまいます。
Yさんにとっての非暴力とは、理想でもなんでもなく、自身が生き延びるための現実に他ならないのです。
Yさんはいつも言います。この歳まで生きてこれたことが、まず奇跡だと。

僕には、自分の考えを伝えることはできても、相手の思いを理解することに困窮するという特性を持っています。
発達障害から来ている「こだわり」特性が、相手の話を理解する妨げになっている面も確かにあります。
でも実際には、相手の持っている考えや思いを洞察することが難しく、表面上の言葉や感情に左右されてしまう特性が強く出ているのです。
語気の荒い人を見ると怖い人だと誤解し、否定的意見を言われると自分の全存在が否定されたような衝撃を受け、相手が考え込んでいるだけなのに無視されたと思い込んでは無用な喧嘩をするという具合です。
「理屈では分かっているのに感情がついていかない」という言い方を今までしていたのですが、こちらの方がより明確かと思います。
なので、当事者同士で差し向かいで話をするより、第三者に交通整理をしてもらった方がコミュニケーションが取りやすいということが見えてきました。
だから、もし僕自身が合理的配慮を必要としているならば、会話の仲立ちという「介助」を必要としているのではないかと思うのです。
このことがクリアできれば、地域や職場、学校などで繰り返されてきたトラブルは大きく軽減されるのではないかと。
社会の中で普通に暮らしていくことができるのではないかと考えたのです。

百戦錬磨の闘士にしてみれば、僕の考えはまだまだ幼稚で重みがないと感じられるのは当然のことと思います。
Yさんから早速「君と話をするには俺たちが配慮しなくちゃいけないのか?」と切り返されました。
身体障害者に対する介助の現場において、「お世話する・お世話される」という「介護」の関係ではなく、「指示する・指示により動く」という「介助」の関係を作りあげることの難しさと直面しながら、今の介助の仕組みを白紙から作り上げて来られた方です。
まずは専門的な知識と経験が必要であろうこと、人材を育成しても必要な人数を確保するのは難しいこと、何よりも予算も支援も何もない状況では、ただの無い物ねだりに終わってしまうことをズバッと指摘されたのです。
全くその通りです。悔しいと思う反面、真剣に考えてくれているのだと感じました。
もっとも、その場でそこまで飲み込めたら苦労しない人ですから、そこまで整理がつくのには随分と時間がかかりましたが…。

Yさんは、たとえば…と話を続けました。
第三者の立場であれば客観的に判断できるというのであれば、お互いに第三者として立ち会うことはできないのかと。
当事者同士という関係では難しいことでも、第三者という立場であれば関わりやすいという点もありましょう。
ならば当事者の集まりで連携を作り、必要に応じて助け合う体制を作ることは可能なのではないかと。
それと連動する形で、発達障害がある人にもない人にも、どういう関わり方をすればお互いが安心して暮らせるようになるのかを学び合う場になるのではないかと。
その輪を広げて行けば、障害の有る無しに関係なく安心して暮らしていける社会を構築していけるのではないかと。
もちろん、そんな簡単な話ではないことはお互い承知の上での話です。
だから諦めるのではなく、こういう話を積み重ねていくことこそが大事なのだと思うのです。

Yさんは、8日の学習会の場でも話して居られました。
自ら障害者として60年生きて来たけど、障害者の当事者だと言いつつも、実は身体障害のことしか見ていなかったこと。
隠すことができない身体上の障害のために常に差別と偏見に晒され続けた身としては、精神障害者の言う「障害が周囲から見えないことの苦しみ」というのが理解できなかったこと。
知的障害や精神障害に対して、理解がなくて恐怖心すら抱いていたことを率直に告白されました。
自らが抱える障害が重いほど、どうしても他の障害に対する理解は疎かになります。
これは障害に関わらず、社会の中に存在するあらゆる困窮についても同じことが言えると思います。
一方的に要求するだけでは、その溝は決して埋まることはありません。
お互いがお互いの立場になって考えることが求められているのだと思うのです。
ようやく、その出発点に立つことができたと確認できた貴重な機会だったのではないかと思います。

学びの場から一週間。
熱病のようなものであれば、そろそろ治まる頃合いでしょうか。
果たして、今回の変化は一時的なものだったのか。
一時的なものだと片付けてしまいたくないです。
なので、今回も文章にまとめてみた次第です。
この流れを継続的なものとしていくためにも、息切れしない程度に抑えながら、模索の動きを続けていきたいと思います。

テーマ : 広汎性発達障害
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)であることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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