HANA-G


→pixivで見る

HANAはHANAでも「flower」ではなく「nose」の方です。
期待された方は、ごめんなさい。

僕は、以前から鼻血が出やすい体質みたいです。
突然ボトボトと垂れてくることも珍しくありません。
実際、街中でスプラッタしちゃったこともあります。
チョコレートの食べ過ぎだとか、エッチいことの考え過ぎだとか、色々言われてきました。

最近になって、その原因が判明しました。

鼻の粘膜が弱いみたいです。

うわーい! やっぱり僕は無罪だったんだぁー!! ヾ(*´∀`*)ノ
…あらぬ疑いこそ晴れましたが、何の解決にもなっていないですね。はい。

花粉症から来る鼻炎もあって、春先から今にかけての時期は、鼻血の多発シーズンです。
鼻水かと思えば鼻血だったというのは良くある話。
今さら慌てることもなく、手持ちのティッシュを鼻に詰めて終了です。

本当は氷で冷やしたりする方が良いのですが、なぜか朝の忙しい時間帯に多いので、のんびり冷やしている訳にもまいりません。
大抵は30分もすれば自然と止まるので、積極的に止血することもありません。
とりあえず今やっている作業を中断しないことが目的になっています。

時間に余裕がある時は、何も詰めずに静かに横になります。
顔面を打つなどの理由がなければ、頭に血が昇っていることが一番の要因なので、わざわざ手当てをしなくても、これだけで十分に止まります。

○朝の起床時
○暑さ
○ストレス


僕の場合、これらが引き金となるケースが大半です。
メカニズムが分かってしまえば、案外なんとかなるものです。
これらの要因さえ排除してしまえば、鼻血のリスクは大幅に軽減できる訳ですから。

排除ができない時は…鼻の粘膜が耐えてくれることを祈るだけです。
がんばれ、僕の鼻の粘膜! (´;ω;`)ブワッ


     * * *


鼻血つながりで、最近のニュースから気になったお話をひとつ。
とある人気漫画で、鼻血の描写が波紋を広げているそうです。
原子力発電所を原因とする放射能汚染が問題になっている地域で、原因不明の鼻血が多発しているという描写が問題になっている模様です。

いつもお世話になっている地域活動支援センターにて、その被災地から子どもを連れて避難されて来られた方が勤めておられます。
たまたま機会があったので、このことについて単刀直入に尋ねてみました。
すると、あっさり回答が得られました。
「私も鼻血が出ましたよ。地元の人なら、みんな知っている話ですよ。」

誤解がないように記しておきます。
「放射能被曝=鼻血」とは言っていません。
被災地で、原因不明の鼻血が多発しているという「事実」を述べているだけです。
鼻は、中の粘膜が薄いことがあって、とりわけ出血しやすい部位です。
何かしらの要因で鼻血に至ることは、よくあるお話です。
鼻血まみれの人生を送ってきた人なので、鼻血が増えることに何の疑問も持ちません。
僕自身、ストレスが原因で鼻血が出ることも多々あります。
被災地で暮らしていたとなれば、普通の人以上にストレスを抱えていて当然なのですから、原因不明の鼻血が増えることは全然不思議な話ではありません。

気になるのは、ここからです。
先述の漫画に対する非難の声が止まらないそうです。
風評被害を広げるような記述は避けるべきではないかと。
被災地に暮らす方々に対して、あまりにも無神経ではないかと。
ついには、某環境大臣まで苦言を呈したそうです。

この抗議の嵐について、僕は首を傾げざるを得ません。
原因不明の鼻血について描写することが、なぜ風評被害につながるかと。
過酷な状況の中で暮らしているのですから、体調の変化が現れることは当然です。
何も起こらない方が不自然です。
震災前と変わらぬ平穏な暮らしを描くことが好ましいと言うのであれば、それは欺瞞以外の何物でもありません。

放射能が原因でないのであれば、そのように説明すれば良いだけの話です。
誤解があれば、それを解けば良いのです。
今現実に起こっていることを描くことが、果たして差別の助長に直結するのでしょうか。
むしろ、無理矢理に隠そうとするから、ますます誤解や偏見が広がるのではないでしょうか。
被災地に暮らす方々を守ることが目的でないことは明白です。

ニッポンという存在の評判が下がることを恐れているのです。
ニッポンを守るためなら、犠牲になる人が現れても仕方がないという考えの現れです。
首都を守るための人柱。
死人に口なし。
生け贄に捧げられる人の存在は、あくまでも隠し通すつもりなのでしょう。
半世紀前に、ニッポンの復活と引き換えに沖縄を見捨てたように。

反省とは、過去の失敗を消し去るものではありません。
失敗をばねに、同じ過ちを繰り返さないためのものです。
同じ過ちを繰り返そうとしているのであれば、やはり反省していないのでしょう。

よく、酒呑みの二日酔いにたとえられます。
二日酔いで苦しんでいる間は、二度とお酒は飲まないと誓います。
でも、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
一週間もしないうちに、またお酒を呑み出します。
お酒が必要だという、もっともらしい理屈を並べ立てて。

僕自身もその一人。
何度二日酔いに苦しんでも、気がつけば缶ビールに手が伸びています。
偉そうなことを書き並べても、所詮はこの程度の人間なんです。
ごめんなさい。


     * * *


ここまで読まれて、反感を持たれる方も居られるかと思います。
あって然るべきだと思います。
ただ、今ここで反論を書き並べることは誰の得にもなりません。
ご自分のブログなり、然るべき集会等で声をあげてもらうのが一番建設的かと思われます。

最近は、小遣い稼ぎでそういう書き込みを繰り返す人が居ると聞きます。
悪名高きシー○ェパードのように。
罪をかぶるのは、金で雇われた使い捨ての工作員。
黒幕は、いつもお金と命令だけ出して知らぬふりです。

少数派には少数派なりの存在意義があり、生き方があります。
マイノリティーの存在を否定する社会に幸福はありません。
存在そのものを否定された上で、一体どんな幸福が得られるというのでしょうか。

「真実は常に一つ」とは、別の某有名漫画の名台詞です。
でも、僕はこう言いたいです。
「人の数だけ、真実は存在する」と。
今、自らが存在していると認識している世界は、究極的には「そのように認識している」にすぎないというのは、とある有名な哲学者の言葉です。
もしかしたら、本体は薄暗い発電所の中に眠っていて、後頭部につながれている端子から情報を読み取っているに過ぎないのかもしれないのですから。
もし夢であるならば、僕は幸福な夢を見ていたいものです。

こんなことを言い出すのは、やはり僕自身がマイノリティーの側に居るからだと思うのです。
発達障害ゆえ、常に少数派の道を歩んできました。
たまに多数派に加えてもらえましたが、居心地の良い暮らしは決して長続きはしませんでした。
多数派に居る時は、その人は居心地の良さに甘えて、保守の道を望みます。
迫害される側に立たされて、初めて問題意識に目覚め、革新の道を望むようになるものなのかもしれません。

かつて、福祉系の学校に通っていた時に覚えた言葉です。
「底板一枚、抜ければ地獄」
今は安穏な暮らしを送っている人でも、突然の事故や病気で、貧困や障害を負うことは当然に有り得る話です。
多数派に居るから安心なのではない。
インターネット上で非難罵倒の応酬が止まらないのは、不安から目を背けたいという欲求の現れなのではないでしょうか。
自分に自信がない人ほど、「いじめ」という形で他人に依存するものです。
絶対的安全圏から弱者をたたく世の中に未来がありましょうか。
少数派の存在が認められてこそ、多数派もまた真の安心が得られるのだと僕は考えています。

もう弱者の潰し合いを見るのはたくさんです。
不の連鎖は断ち切らねばなりません。
マイノリティーであることを誇りを持って暮らせる世の中であってほしいと願うばかりです。

(※この記事へのコメントは、SNS上にて受け付けています。)

テーマ : 広汎性発達障害
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
広汎性発達障害があることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

FC2カウンター
カテゴリ
最新記事
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク