居場所を求めて


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美しい大地は 私たちの神が
与えられた恵み、貴い贈り物。
約束の大地は わかちあいの大地。
神の強いみ手に 導かれた土地。
(讃美歌424番1節/日本基督教団出版局「讃美歌21」より)


     * * *

「精神衛生法」が、ようやく「精神保健法」と名を変えた時代のお話です。
それまでの精神障害者の処遇は、とにかく投薬で社会復帰を促し、それが無理なら社会から隔離するというものでした。
それは社会防衛のための措置であり、個人としての尊厳は置き去りにされていました。

京都南部の駅前住宅街にある教会の一室で、それは誕生しました。
病院や施設から離れて、地域社会の中で自立した生活を送るための拠り所となる場所。
そこは治療の場でもなければ、訓練の場でもありません。
日々の生活に疲れた時に一休みできる場所…憩いの場です。

地域の中でバラバラになって暮らしている精神障害・精神疾患の当事者たちが、共通する苦しみを分かち合いながら、お互いに助け合って生きていくために必要となる場所。
お金もなければ、制度のバックアップもない時代。
色々なものが足りず、無い中で知恵や労力を出し合ってやり繰りせねばなりませんでした。

それでも集まって来る人たちは幸せでした。
これまでは病院や訓練施設にしか自分たちの居場所がなかったのです。
疲れた時に、何もせずに休める場所ができたことが何よりの幸せでした。
障害や病気を隠すことなく、安心して集まることができる場所ができたのですから!

     * * *

貪りの心が 正義を踏みにじり、
貧しい人々の 大地を取り上げる。
喜びの歌声、涙に変わりはて、
緑のこの土地は 灰色にかわる。
(讃美歌424番2節/日本基督教団出版局「讃美歌21」より)


     * * *

「精神保健法」は、さらに「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」へと発展しました。
「精神保健福祉法」とも呼ばれている、現行の法律です。
主たる目的が社会防衛から精神障害者に対する支援へとシフトチェンジしました。

長年の草の根運動は、公的施設として設置が認められるに至りました。
それまで手弁当での活動だったものが、公的支援により運営されるようになったのです。
もうお金の心配は要りません。専従さんだって雇えます!

ところがこれを境に、当事者同士による助け合いだったものが変質していきました。
職員や設備を充実させたおかげで、より重度の障害を持つ人の受け入れが可能となりました。
このことは、同じ利用者の中に「助ける人」と「助けられる人」が生まれることになりました。

すべてが整った今の姿しか知らない人にとっては、あるのが当然、助けてもらえるのが当然です。
出し合うのが当然と考える人と、出してもらうのが当たり前だと考える人。
高齢化の影響もあって「自分の力で出来ること」は少しずつ減っていきました。
これに反比例して、不協和音は徐々に大きくなっていきました。

居心地の良さが評判を呼び、利用者の数は増加の一途でした。
その一方で、離れていく人の数も増えていきました。
何でも与えられるのが当たり前だと考えている人が大勢を占めたとき、助け合いの文化は過去の情景となってしまいました。
その代わりに台頭してきたのは、限りある財源を奪い合う人の姿でした。

     * * *

種蒔く者が飢え、刈りとる者が痩せ、
紡ぐ者がふるえ、貪る者が富む。
ためいきの大地を 神は見過ごさない。
この大地すべては みんなの持ち物。
(讃美歌424番3節/日本基督教団出版局「讃美歌21」より)


     * * *

障害者自立支援法…現在の障害者総合支援法(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律)の成立は、順風満帆かに思えた施設の運営を危機的な状況へと追い込みました。
運営費のやり繰りにより「利用者1割負担」こそ回避できましたが、それ以上に重くのしかかったのが「日割計算方式」でした。
建前は利用者が自由に施設を選べるようにするためということでしたが、実際には事務作業が増えるばかりでトータルの措置費は大幅に減らされました。

それまで当たり前にあったものが、徐々に姿を消していくことへの不安。
今までが恵まれすぎていただけなんだと諦める人も居る一方で、今も独り占めを続けようとしている人も居ます。
コミュニケーションに支障がある人が多いとはいえ、ここまでバラバラになってしまったのは何故なのでしょうか。
与えられることに慣れてしまったから。
当事者として自分自身の力を出し合うことを忘れてしまったから。
前途を悲観して財源を奪い合う姿は、今まで以上に露骨なものとなりました。

沈み行く船に見切りをつける人。
沈み行く船にしがみつく人。
どちらを選んでも修羅の道です。

日を追うごとに狭まる空気の中で、どんどん隅へと追いやられる日々。
他の人を蹴落としまで居座りたいという気持ちもありません。
かと言って、逃げ出したところで行き先などありません。

     * * *

美しい大地は 私たちの神が
与えられた恵み、貴い贈り物。
分け合い、助け合う 希望満ちる大地、
そのすべての物は みんなの嗣業だ。
(讃美歌424番4節/日本基督教団出版局「讃美歌21」より)


     * * *

今さらながら、幼少期から職場に至るまで続いて来た「いじめられ人生」で受けた心の傷は、自分が思っている以上に深かったようです。
新しい場へ入っていくことへの恐怖。
馴染もうと身を削る日々を送り、やがて裏切られ追い出されてきたことへの悲しみ。
それを「思い過ごし」や「努力不足」という言葉で片付けようとしている傍観者への怒り。
そして、僅かな年金と貯金の切り崩しで生きていくことへの不安と、就職へのプレッシャー。
病院も、就労支援施設も、教科書通りの言葉を投げかけるのみです。

「障害者は健常者の理屈では生きられない。仕事は自分で作らなくちゃ!」

いつの日にかYさんが言っていた言葉です。
それを聞いた時は、随分と途方のない話に聞こえました。
でもそれが今になって徐々に現実味を帯びて来ました。
長続きしない場所に心身を削るぐらいなら、自分の居場所を新たに作ることの方がはるかに建設的なんじゃないかと。

自分にできること、できないこと。
自らに求められていること、自らが求めていること。
手弁当を承知の上で、中心的立場で一緒に働くことができる人。
そして物理的な容れ物。

重い腰をあげ、種蒔きをはじめました。
かつて、夢を求めて憩いの場を立ち上げた先人たちの遺志を受け継いで。
まったく同じものではなく、自分らしく自分にできる範囲の形で。
続きはまたいずれ、何か書けるような展開になったらということで…。

(※この記事へのコメントは、SNS上にて受け付けています。)

テーマ : 広汎性発達障害
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)であることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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