障害者運動のバトンをつなぐ

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射命丸文「おやおや、これは随分と厄介な相手ですね。貴方は少々知りすぎているようです。さて、どうしたものか。」

映画や小説でこんな台詞が登場した日には、主人公はピンチに陥るのがセオリーです。
できればリアルでは絶対に聞きたくない台詞。
それでも聞いてしまった日には…。

さて、どうしたものか。(´・ω・`)


     * * *


生き苦しさを感じる当事者だからこそ、守りたい空間がある。
「河繰厨(かくりちゅう)」

http://hottotougarashi.wixsite.com/main/party

健常者主体の社会にあって、生き苦しさを感じる人たちが居ます。
精神的な疾患や障害のために、地域の中で暮らすことに苦労している人たちのための憩いの場「ほっとハウス」。
そのほっとハウスの中であっても、さらに生き苦しさを感じている人たちが居ます。

周囲で突然発生する大きな物音や、無遠慮に飛び交う大声での会話。
相手を配慮しない理不尽な言動に、内臓をえぐられるような思いを日々受け続けている人が現実に居ます。
一口に精神障害と言っても、それぞれの疾患や障害は実に様々です。
うつ病の他、認知症、アルコールや薬物などの依存症、適応障害、不安障害、解離性障害、パーソナリティ障害、性同一性障害、てんかん、発達障害など…双極性障害(躁うつ)や統合失調症にばかり目が向かいがちですが、ほっとハウスに支援を求める当事者は、実はこれだけの広がりを持っているのです。

だからと言って、皆がお行儀良く過ごすのは、ほっとハウスの「やり方」ではありません。
私たちは何故ほっとハウスに集まっているのでしょうか。
それは、健常者が作り上げた福祉という名の「システム」に組み込まれてしまうことにも、苦痛を感じているからではないでしょうか。
健常者主体の管理体制に組み込まれることで与えられる「安楽」と引き換えに、当事者自らが主体的に生きることで得られる「ひとりの人間として生きる喜び」を失ってしまうのです。
これが常に満たされないと感じているものの正体です。

健常者任せの支援に依存するばかりでは、私たちの生き苦しさはきっと解消されないでしょう。
疾患や障害を持つ当事者が自ら主体的に活動してこそ、実現できる幸福の「カタチ」もあるのです。


     * * *


なぜ僕がこんな文章を書くに至ったのでしょうか。
かつては…今でも様々な紹介記事の中では…精神障害の当事者運動の一つの成果として、全国的にも注目されていた場所のひとつだったのです。
ところが今ではすっかり「可哀想な障害者のお世話をしてあげる場所」に成り下がってしまいました。

実は先日、それを痛感させられた出来事があったのです。
当事者が主体的に活動している場があると聞き、はるばる東京から見学に来られた方が居られました。
ところが実際に見学してみると、職員さんだけが休む間も無くバタバタと走り回るばかり。
肝心の当事者は、ただお世話をしてもらうのを、ぼーっと待っているだけという有様です。
がっかりして東京へ帰ろうとしたら、心ある職員さんがその方を僕のところへ連れてきてくれたという次第です。

利用者も職員さんもほとんど訪れない別棟の片隅。
自分でできることは全て自分でやる。
コーヒーを飲みに来てくれた利用者仲間や職員さんたちと、他愛のない…時には熱い話を交わす光景。
「私が求めていた『ほっとハウス』は、ここにあった!」
と大喜びして東京へ帰って行かれました。

どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
これまで、新しい施設長からは「利用者が高齢化し、様々な能力が落ちてきているため」と聞かされてきました。
僕自身、この説明を渋々受け入れ、正直諦めていました。
でも本当はそうではないのではないか。
そんな思いが頭の中で燻っていました。

どんな活動でも、最初は何もないところからスタートします。
無い無い尽くしの中、少しでも良くしようと、みんな精一杯頑張ります。
活動が軌道に乗り、環境が整ってくると、ひとつの壁にぶつかります。
必要なものが一通り手に入ってしまうと、当面の目標がなくなってしまうのです。
もちろん漠然とした大きな目標が別にあるのですが、その道程が見えなくなってしまうのです。

目標を見失った時、革新の動きは止まり、保守的な考えが全てを支配するようになります。
何もない時には力を振り絞って頑張ってきたはずの当事者が、専従として雇い入れたはずの健常者にいつしか全権を委譲してしまい、管理者となった健常者から必要なものを与えられる毎日に安住するようになりました。
自ら努力することもなくなり、席の場所や食事の盛り付けを巡って身内同士で奪い合いをするだけの日々が、だらだらと続いています。

果たしてこれを高齢化の問題と片付けてしまって良いのでしょうか。
平均年齢こそ上がれはすれど、今でも幅広い年齢層が利用しています。
二次的障害で老化が進みやすいとは言え、30~50歳台の利用者を高齢者呼ばわりするのには抵抗があります。
むしろ、二次的障害を防げなかったツケを、管理する側にとって都合の良い理由にすり替えているだけなのではないか。
そんな疑念さえも、今の僕の頭の中では渦巻いているのです。

管理者にとって、従順に管理されてくれる利用者は実に都合の良い存在です。
逆に言えば、そのことを見抜いてしまう利用者ほど扱いにくいものはありません。
僕が、色々な施設で馴染めなかったり、匙を投げられてしまうのは、その辺りの事情があるからなのでしょう。
どんな業種でも、同業者を相手に仕事しようとすると、手の内が丸見えだったりとか色々と困ってしまう場面があるものです。(当然その逆の場合もあるのですが。)
福祉施設もまた、福祉現場経験者を相手に支援をやりたいとは思わないのでしょう。
支援学校等で純粋培養されてきた子どもたちと違って、それなりに社会の中で経験を積み上げてきた福祉職員崩れのオッサンが相手な訳ですから、そりゃもう鬱陶しいこと請け合いなんですよ…多分。(´・ω・`)


     * * *


先週、京大病院からの帰りにYさんの事務所に寄らせて頂きましたら、こんな本を紹介されました。

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「障害者運動のバトンをつなぐ − いま、あらためて地域で生きていくために」
生活書院/ISBN 978-4-86500-060-3

Yさん曰く、いま僕が直面している課題は、ほっとハウスだけに限った話ではなく、全国の多くの当事者団体が今現在直面している問題なのだそうです。
何もないところから立ち上げた世代が次々とこの世を去っていく中、いかにして次の世代が受け継いでいくのかが喫緊の課題になっているのです。
その危機感もあって企画出版された、今年9月に出たばかりの新刊です。

あまりにもジャストミートなタイミングに、その場で即買いしてしまいました。
今、半分ほどまで読み進めてきたところですが、モヤモヤしていたものがストンと腑に落ちて、とても勇気付けられる一冊です。
考えを共有する他の当事者仲間や、先述の心ある職員さんにも勧めて回っているところです。

あ…。Yさんの正体がバレバレだ。Σ(゚Д゚;)☆\(−−; バキ

(※この記事へのコメントは、SNS上にて受け付けています。)

テーマ : 広汎性発達障害
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
広汎性発達障害があることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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