春を迎えて


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先月より、7年ぶりの抑うつに襲われています。
原因は人的環境から来ているものなので、自分一人の力で解決できる問題でもありません。
病院や福祉施設に足を運びつつ、今にも崩れそうな積み木を少しずつ補強している毎日です。

久々の本格的な抑うつなのですが、今回は不思議と冷静です。
以前のような不安や焦りが無いのです。
セルトラリン(抗うつ薬)を処方されているおかげでもあるのですが、ここ7年ばかりの間に積み上げて来た知識や経験が活きていることを実感しています。

抑うつの診断名しか出ていなかった頃は、とにかく自分自身を責め続けていました。
コミュニケーションの問題も、降りかかるトラブルへの対処も、全て自分自身の力で乗り越えないといけないと思っていました。
「健常者」を演じ続けることにエネルギーの大部分を注いでいました。
至らぬ自分を責めては、周囲の人とのトラブルに怯えて暮らす毎日でした。

7年前の抑うつの時に、ほっとハウスの職員さんに連れられて診てもらった病院で、「広汎性発達障害」と診断されたことから、それまでの生活は大きく変わることになりました。
それは、今までの苦労がゴールしたという意味ではありません。
ようやくスタートラインに立てたのです。

都合が良い時だけ「健常者」を演じれば良いと割り切って、自分自身の特性を受け入れる覚悟を決めました。
そして、社会に馴染めないでいる自身の特性について必死に勉強しました。
ここ5年ばかりの間に発達障害を取り巻く環境は飛躍的に改善しました。
そのことも追い風になり、自分自身の特性を少しずつ理解し、受け入れることができるようになりました。

今は一種の「発達障害ブーム」のような時代です。
発達障害という診断名を求めて精神科医を訪れる人も少なくありません。
でもこれだけは言いたいです。
診断名が出ることがゴールではありません。
むしろ、そこからがスタートなのです。

発達障害という診断名さえあれば、世間が配慮してくれるという発想は間違いです。
どんな診断名が付こうとも、どんな支援が得られようとも、日々の生活と闘うのは結局は自分自身です。
自身の特性を冷静に理解し、社会とすり合わせていく努力をしない限り、いずれは社会から締め出されてしまいます。
もちろん、社会から離れて一人で生きていくというのも、一つの選択です。
でも、自分一人の力だけで自給自足で生きていけるほど強くないということも自覚しています。

必要な助けは求めたら良いのです。
でもそれは、与えてもらうばかりではないはず。
自分の気づかないところで何かを返しているはずなのです。
それは一体何なのか。
社会の中で生きていくということは、きっとそういうことだと思うのです。

今も毎日が勉強です。
でもそれは周りから強いられてする勉強ではなく、自らが望んで自らのためにする勉強です。
そして、日々少しずつ「成長」している自分に誇りを持っています。
今自分が冷静に抑うつを対処できているのは、そんな見通しが立っているからだと思います。

人生、死ぬまでが勉強と申します。
その言葉の意味を実感している毎日です。

(※この記事へのコメントは、SNS上にて受け付けています。)

テーマ : 広汎性発達障害
ジャンル : 心と身体

プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)であることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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