入稿しました!


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比那名居天子「まあ、コミケとは全く関係ない話なんだけどね。そもそも同人誌じゃないし。くすくす。」

天子タソが挑発してきました。
どうしますか?

→無視する
→無視する
→無視する



天子:(´;ω;`)ブワッ



     * * *



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同人誌じゃないけど、入稿してきました。
ほっとハウスが年2回発行している「とうがらし通信」です。
前回、担当スタッフの急な退職でピンチヒッターを引き受けた訳なのですが、今回は応援から代用に昇格した模様です。

前回の突然の丸投げとは違い、今回は企画段階から引き受けることになりました。
ごく限られた常連さんからしか投稿を受け取ることができなかった前回を反省として、より多くの利用者から投稿が集まるように特集企画を立案する等の工夫をしました。
利用者の大半は相変わらずの無関心ではあったものの、職員さん側の新しい担当スタッフの尽力もあって、投稿者を大幅に増やすことができたのは何よりの成果です。

ただ、慣れない者同士が集まってやってることなので、不慣れや不手際もあって入稿時のドタバタぶりも相当なもの。
師走のクソ忙しい時期にアポなしで印刷屋さんへ突入して納期対応に泣きついたり、ページ数の確認ができていなくて刷取見本を受け取って大慌てしたりする等の場面もありましたが、どうにか無事に印刷に入ることができました。
印刷屋さんからの納品が無事に完了したとしても、今度は発送準備で一週間ばかり蟹工船するのは確定済みなのではありますが、どうにかクリスマスまでに発送が完了できますよう今はただただ祈るばかりです。

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東九条マダン

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最近11月第一日曜日の開催が続いていた東九条マダンですが、今年は久しぶりに11月3日の開催となりました。
http://www.h-madang.com/

ほっとハウスは祝日も通常開所が原則です。
日常的に職員さんの手が足りない中、通常開所とマダン出店の両立は難しいですから、一度は出店見合わせの方向で話が進んでいました。
しかし間もなく25周年を迎えるほっとハウスは、開設当初から東九条とは非常に深い縁があります。
職員さんの手を借りずにでも出店をしたいという強い要望がメンバー(登録利用者)側から上がりましたので、有志を募って出店することになりました。



結局のところ、東九条マダンへの参加を希望するメンバーが多く、ほっとハウスの昼食を仕出し弁当で代替することで職員さんの数を確保することができましたので、いつものように職員さん支援のもとでの出店という形に落ち着きました。
ただ、一連の経緯で申し込みが遅れたために飲食物販売の許可を得ることができず、今回は手芸品等の物品販売のみとなりました。

夏季と冬季の端境期にあることから、寒い日になるか暑い日になるかの判断が難しく、特に飲料販売では難しい判断を迫られるのが常の東九条マダン。
今年は晴天にこそ恵まれたものの、冬型の天候の影響を受けることになりました。
晴天のおかげで清涼飲料もそこそこ売れていましたが、日が陰ると風が冷たく、温かい飲食物のニーズは大きかったです。
ホットコーヒーの販売を望む声が内外からあり、来年こそは飲料販売を復活させたいと皆で画策しているところです。

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おまけ画像その1。
すじ肉の串焼きです。( ̄¬ ̄*)じゅるぅ

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おまけ画像その2。
チヂミとサービスで添えられた豚キムチです。ヾ(*´∀`*)ノ

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おまけ画像その3。
韓国風の巻き寿司、キンパです。(*´ω`*)

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おまけ画像その4。
ホルモン味噌焼きうどんです。○o..*ヾ(*′∀`*)ノ*..o○

麦酒が欲しくなる料理のオンパレードですが、会場内は禁酒&禁煙です。
店の売り子もありますから、もちろん我慢の子です。
ここは素直に本場の味わいを堪能することに専念するに限ります(涙)

ごちそうさまでした。(ー人ー)

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大きなコミュニティの中の小さなコミュニティ



16日(日)の午後、西小倉めぐみ教会・研修センターにて、
学習会「ほっとハウスの仕事 ~精神障害者が必須とする介護とケースワークとは~」
(主催:西小倉めぐみ教会・研修センター、共催:フリースペース「おやすみ」)
が開かれ、ほっとハウス所長からの発題がありました。

精神科病院に40年間入院し続け、東日本大震災を契機に60歳にして地域の中での暮らしを始めた男性の半生と今の姿を15分程度にまとめたビデオを視聴した後、ほっとハウス所長からの発題に移りました。
この国では、隔離収容主義から地域で暮らす方向へと舵が切られるようにはなったものの、いわゆる先進国と呼ばれる国々の中では大きく後れをとっており、病院から出ようにも地域に受け皿となる施設や制度が十分に整っていない日本の精神科医療の現状についての説明がありました。
そして、ほっとハウスを利用する当事者の現状と、地域の中で暮らすことを支援するための様々な取り組み、今後の課題や展望などについて話されました。

ほっとハウスからも3名の出席がありました。
普段、なかなか教会の方々と話をすることがなかったこともあって、お互いの立場を越えて思いを交わし、積極的な話し合いができた貴重な時間となりました。

http://hottotougarashi.wixsite.com/main/single-post/2016/10/17/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E4%BC%9A%E3%80%8C%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%80%8D


     * * *


上のリンクをクリックするとモザイクが外れる仕様となっております。(゜゜)☆\(ーー;バキッ

喧嘩を売りに行った訳ではありません。
表面的な活動の方向性の違いで摩擦が大きくなっていた矢先だったので、ここ最近の急激な動きの背景にあるものを知る良い機会だと思い、純粋に話を聞かせてもらうつもりで出席させてもらった次第です。
質疑応答の時間も、会の趣旨を尊重すべく沈黙を決め込むつもりでいたのですが、ほっとハウス側からの参加者のコメントに触発されて、結局いっぱい喋っちゃいました。

結局のところ、これは全て正解だったのです。
ほっとハウスとしては、全員が一つの方向を目指して同じことをするというのは、ほっとハウスの「やり方」ではないこと。
教会としては、障害を持つ当事者が自主的に「憩いの場」を開設するという趣旨にこそ賛同していたこと。
そして、ほっとハウス内から自発的にコミュニティが誕生し、当事者主体の伝統が引き継がれていることを表明できたこと。
さらには、教会員の方々にも精神的な障害を持つ家族が居り、ほっとハウスの存在が大きな支えとなっていること。
これらを意見交換することができて、双方にとって非常に貴重な機会となりました。

ほっとハウスを一つのコミュニティと限定して考えてしまうから、内包する衝突を回避することができなかったのです。
一人ひとり違う疾患を抱え、一人ひとりが違う問題を抱えている者同士なのだから、一つの大きなコミュニティにまとめ上げて、全員が同じ方向を目指すことにこそ無理があったのです。
たくさんの小さなコミュニティがあって良いのです。
ほっとハウスという大きな枠の中に存在する、いくつかのコミュニティの中を、その時その時に合わせて自由に行き来できるのが、一番の理想なのです。
(本来は、そういうコミュニティが地域の中に無数にあるべきなのです!)
所長が提示している話を、ほっとハウス全体の話と捉えるか、特定のコミュニティの話と捉えるか、実はメンバーである僕ら一人ひとりにフィードバックされる話だったとも言えるのです。

もし自立したコミュニティを当事者自身の手で維持継続できるのであれば、それは所長の計画に追随する必要がないことを意味します。
むしろ、それが当事者運動の一番あるべき姿なのです。
その機会を与えられているということを確認できたことは、僕にとって一番の収穫でした。
そして、それは僕個人の要望ではなく、それに賛同して参加する人が現実に集まっているということを再確認できた貴重な場となりました。


     * * *


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今回のおまけ画像。
学習会の前に頂いたお昼ご飯です。

この日、自分の教会の礼拝に出席してから学習会に参加するのは時間的にシビアだったので、朝から西小倉めぐみ教会に伺わせて頂き、主日礼拝から参加させて頂いたのです。
ほっとハウス創設にも関わったT牧師の話を聴かせて頂く貴重な機会にもなりました。

うちの教会では、教会員全体の高齢化への配慮から昼食は省略もしくは市販の弁当に置き換わって久しく、教会で頂くうどんは本当に久しぶりです。
デザートにコーヒーゼリーも頂きました。
どちらもとても美味しかったです。
ごちそうさまでした。(ー人ー)

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障害者運動のバトンをつなぐ

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射命丸文「おやおや、これは随分と厄介な相手ですね。貴方は少々知りすぎているようです。さて、どうしたものか。」

映画や小説でこんな台詞が登場した日には、主人公はピンチに陥るのがセオリーです。
できればリアルでは絶対に聞きたくない台詞。
それでも聞いてしまった日には…。

さて、どうしたものか。(´・ω・`)


     * * *


生き苦しさを感じる当事者だからこそ、守りたい空間がある。
「河繰厨(かくりちゅう)」

http://hottotougarashi.wixsite.com/main/party

健常者主体の社会にあって、生き苦しさを感じる人たちが居ます。
精神的な疾患や障害のために、地域の中で暮らすことに苦労している人たちのための憩いの場「ほっとハウス」。
そのほっとハウスの中であっても、さらに生き苦しさを感じている人たちが居ます。

周囲で突然発生する大きな物音や、無遠慮に飛び交う大声での会話。
相手を配慮しない理不尽な言動に、内臓をえぐられるような思いを日々受け続けている人が現実に居ます。
一口に精神障害と言っても、それぞれの疾患や障害は実に様々です。
うつ病の他、認知症、アルコールや薬物などの依存症、適応障害、不安障害、解離性障害、パーソナリティ障害、性同一性障害、てんかん、発達障害など…双極性障害(躁うつ)や統合失調症にばかり目が向かいがちですが、ほっとハウスに支援を求める当事者は、実はこれだけの広がりを持っているのです。

だからと言って、皆がお行儀良く過ごすのは、ほっとハウスの「やり方」ではありません。
私たちは何故ほっとハウスに集まっているのでしょうか。
それは、健常者が作り上げた福祉という名の「システム」に組み込まれてしまうことにも、苦痛を感じているからではないでしょうか。
健常者主体の管理体制に組み込まれることで与えられる「安楽」と引き換えに、当事者自らが主体的に生きることで得られる「ひとりの人間として生きる喜び」を失ってしまうのです。
これが常に満たされないと感じているものの正体です。

健常者任せの支援に依存するばかりでは、私たちの生き苦しさはきっと解消されないでしょう。
疾患や障害を持つ当事者が自ら主体的に活動してこそ、実現できる幸福の「カタチ」もあるのです。


     * * *


なぜ僕がこんな文章を書くに至ったのでしょうか。
かつては…今でも様々な紹介記事の中では…精神障害の当事者運動の一つの成果として、全国的にも注目されていた場所のひとつだったのです。
ところが今ではすっかり「可哀想な障害者のお世話をしてあげる場所」に成り下がってしまいました。

実は先日、それを痛感させられた出来事があったのです。
当事者が主体的に活動している場があると聞き、はるばる東京から見学に来られた方が居られました。
ところが実際に見学してみると、職員さんだけが休む間も無くバタバタと走り回るばかり。
肝心の当事者は、ただお世話をしてもらうのを、ぼーっと待っているだけという有様です。
がっかりして東京へ帰ろうとしたら、心ある職員さんがその方を僕のところへ連れてきてくれたという次第です。

利用者も職員さんもほとんど訪れない別棟の片隅。
自分でできることは全て自分でやる。
コーヒーを飲みに来てくれた利用者仲間や職員さんたちと、他愛のない…時には熱い話を交わす光景。
「私が求めていた『ほっとハウス』は、ここにあった!」
と大喜びして東京へ帰って行かれました。

どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
これまで、新しい施設長からは「利用者が高齢化し、様々な能力が落ちてきているため」と聞かされてきました。
僕自身、この説明を渋々受け入れ、正直諦めていました。
でも本当はそうではないのではないか。
そんな思いが頭の中で燻っていました。

どんな活動でも、最初は何もないところからスタートします。
無い無い尽くしの中、少しでも良くしようと、みんな精一杯頑張ります。
活動が軌道に乗り、環境が整ってくると、ひとつの壁にぶつかります。
必要なものが一通り手に入ってしまうと、当面の目標がなくなってしまうのです。
もちろん漠然とした大きな目標が別にあるのですが、その道程が見えなくなってしまうのです。

目標を見失った時、革新の動きは止まり、保守的な考えが全てを支配するようになります。
何もない時には力を振り絞って頑張ってきたはずの当事者が、専従として雇い入れたはずの健常者にいつしか全権を委譲してしまい、管理者となった健常者から必要なものを与えられる毎日に安住するようになりました。
自ら努力することもなくなり、席の場所や食事の盛り付けを巡って身内同士で奪い合いをするだけの日々が、だらだらと続いています。

果たしてこれを高齢化の問題と片付けてしまって良いのでしょうか。
平均年齢こそ上がれはすれど、今でも幅広い年齢層が利用しています。
二次的障害で老化が進みやすいとは言え、30~50歳台の利用者を高齢者呼ばわりするのには抵抗があります。
むしろ、二次的障害を防げなかったツケを、管理する側にとって都合の良い理由にすり替えているだけなのではないか。
そんな疑念さえも、今の僕の頭の中では渦巻いているのです。

管理者にとって、従順に管理されてくれる利用者は実に都合の良い存在です。
逆に言えば、そのことを見抜いてしまう利用者ほど扱いにくいものはありません。
僕が、色々な施設で馴染めなかったり、匙を投げられてしまうのは、その辺りの事情があるからなのでしょう。
どんな業種でも、同業者を相手に仕事しようとすると、手の内が丸見えだったりとか色々と困ってしまう場面があるものです。(当然その逆の場合もあるのですが。)
福祉施設もまた、福祉現場経験者を相手に支援をやりたいとは思わないのでしょう。
支援学校等で純粋培養されてきた子どもたちと違って、それなりに社会の中で経験を積み上げてきた福祉職員崩れのオッサンが相手な訳ですから、そりゃもう鬱陶しいこと請け合いなんですよ…多分。(´・ω・`)


     * * *


先週、京大病院からの帰りにYさんの事務所に寄らせて頂きましたら、こんな本を紹介されました。

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「障害者運動のバトンをつなぐ − いま、あらためて地域で生きていくために」
生活書院/ISBN 978-4-86500-060-3

Yさん曰く、いま僕が直面している課題は、ほっとハウスだけに限った話ではなく、全国の多くの当事者団体が今現在直面している問題なのだそうです。
何もないところから立ち上げた世代が次々とこの世を去っていく中、いかにして次の世代が受け継いでいくのかが喫緊の課題になっているのです。
その危機感もあって企画出版された、今年9月に出たばかりの新刊です。

あまりにもジャストミートなタイミングに、その場で即買いしてしまいました。
今、半分ほどまで読み進めてきたところですが、モヤモヤしていたものがストンと腑に落ちて、とても勇気付けられる一冊です。
考えを共有する他の当事者仲間や、先述の心ある職員さんにも勧めて回っているところです。

あ…。Yさんの正体がバレバレだ。Σ(゚Д゚;)☆\(−−; バキ

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喫茶活動その後


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祇園祭が終われば梅雨明けと言われる京都でありますが、前祭(さきまつり)の山鉾巡行が終わった途端に梅雨明け宣言です。

十年来使ってきたインクジェットプリンタ(Canon iP4300)の廃液だめ(廃インクを吸わせるスポンジみたいなもの)が寿命を迎えたらしく、インクタンクに別の色のインクが逆流するようになりました。
それでも使用前にインクヘッドを掃除すれば使えていたのですが、いよいよこの方法でもインクの混入を阻止できなくなって、ただの黄色を印刷しようと思っても黄緑に化けてしまう始末。
逆に故障知らずで今も現役のSCSI接続のスキャナも、いちいちSCSI端子を持つ古いパソコンを立ち上げなくてはならず、これはこれで困った話でした。
観念して、同じCanonのインクジェット複合機(MG5730)に買い換えました。

プリントテストをしてみたくて、わかさぎ姫をさらりと描いてみました。
水底はきっと快適なんだろうなぁ…。

わかさぎ姫「水中じゃあ、エアコンも扇風機も使えないよ?」

相変わらず猛暑日の連続ですが、湿度が下がったのが一番の朗報です。( ;∀;) ウルル…


     * * *

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ほっとハウスの喫茶活動のお話です。
昨年の10月から、三軒隣の教会礼拝堂を借りて喫茶コーナーを開設していたのですが、今月に入り継続を断念せざる得なくなりました。

厚生労働省が三障害統合の方向で障害者支援を展開するようになって久しいですが、一口に障害者と言っても身体・知的・精神で必要とする支援はまったく異なりますし、現場が追いついていないというよりは、最初から考え方に無理があるように思えるのは僕だけなのでしょうか。
少なくとも、精神障害ひとつとっても一枚岩ではないです。
精神障害というと、どうしても躁鬱や統合失調症のイメージが先行しますが、てんかんなどの神経症や認知症、依存症、不安障害、性別違和(性同一性障害)なども精神障害に含まれますし、おとなの発達障害も制度上は精神障害に含まれます。

これはあくまでも僕自身の経験則ですが、自閉症スペクトラムの当事者と統合失調症の当事者の相性は、決して良くありません。
僕自身、自閉的傾向から大きな物音や予測のつかない事象にひどい苦痛や恐怖を感じるのですが、なるべくそれを回避するために静かで安定した環境を好みますし、それを保障するためのルールが守られることを強く求める傾向があります。

統合失調症は「患者の数だけ症状がある」と言われる病気ですから一言で説明するのは難しいのですが、目や耳から入ってくる情報や過去の記憶が脳の中で誤って伝えられるために、意識レベルでは正常に判断しているにも関わらず、傍目から見れば支離滅裂な言動に見えてしまうことが特徴のひとつにあげられます。
そのため大きな物音を出したり、周囲が予測できないような言動をしてしまう方も居られ、「本人の意思とは無関係に」ルールを破ってしまう方も居られます。
もちろん大多数の方は自分でコントロールしようと必死の努力を続けているのですが、ごく少数の乱暴な振る舞いだけが注目されて、偏見の対象にされてしまうのが今の社会の現実です。

求めるものが正反対である以上、狭い空間で共存するのは不可能。
十数年試行錯誤を繰り返してきたほっとハウスが導き出した結論です。
大声をあげる傾向がある方の通所を認める以上、大声を苦手とする人のための場所を別に確保することになりました。
それが教会カフェです。

ギリギリの人数で運営してるので、別棟の一室に職員さんを常駐させることはできません。
そこで僕が喫茶コーナーを引き受けることで、職員さんの代わりに常駐していたのです。
運営の苦労はありましたが、大きな物音や予測のつかない言動から逃れることができて、しかも役割まで与えられて、僕にとっては貴重な場所でした。
多くのメンバーさん(利用者さん)もその趣旨を理解してくれていたので、順調に喫茶コーナーは続いていくものと思われました。

ところが、それを面白くないと感じる人が居たことも事実なのです。
喫茶コーナーを使えないことに「自分だけが仲間外れにされている」と憤慨する人が現れたのです。
そもそも、大声で周囲を引っ掻き回す人から逃れるために開設した教会カフェです。
その張本人が自分も使わせろと言うのです。
もちろん職員さんは断りました。
すると実力行使に出ました。
何度も出入りしては、ひどい言葉を浴びせて逃げて行きました。
それも施設長さんの眼の前で。

その方は、施設長さんに促されたこともあって、その後一週間登所しませんでした。
さすがにやりすぎたと自覚していたのか、これで乱暴な振る舞いをチャラにしようという算段なのか、その辺りは定かでありません。
ただ、何があっても自分の否を認めようとしない人でしたので、その方にとっては十分に厳しい対応だったと受け止めていいのかもしれません。

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悪い話ばかりでもありません。
これまで僕一人が頑張っていた教会カフェですが、メンバーさんたちで引き継ぐことになりました。
ここ9ヶ月間、三軒隣の教会礼拝堂で喫茶活動を続けてきたことで、教会カフェがメンバーさんの間でも定着してくれたことが何よりの成果です。
そういう意味では、発展的解消に至ったとも言えましょうか。

僕自身は、ほっとハウスから一筋隣にある、とうがらしハウスの一室を使わせてもらえることになりました。
あまり人の来ない場所なので、喫茶コーナーを開設するには不向きな場所でしたが、一人でのんびり過ごすには十分すぎるぐらい快適な環境です。
喫茶コーナーそのものは教会カフェが残るので、人の出入りは心配しなくてよくなりました。

後ろにそびえるマッサージチェアはたまにしか稼働していないそうです。
今後はマッサージチェア氏との共存が続くことになりそうです。

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プロフィール

かずや(京ヤワ)

Author:かずや(京ヤワ)
河津屋京柔/かずや(京ヤワ)は、京都府下在住の東方好きなMacユーザーです。
昔は電車小僧。今は鉄道おじさん。多分この先も?
発達障害の一つ、ASD(自閉症スペクトラム)であることを知ったのは、40歳手前のことでした。
開き直るほどタフじゃないけど、生きるのが随分と楽になりました。
毎週日曜日にキリスト教会に通う程度には信心深いようです。
ちまちまとパソコンでお絵描きしたりしていますが、最近は寡作気味です。

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